9月のはじめにやりたいアルバイトが決まって、11月まで頑張るぞ!その後は失業給付をもらって少しのんびりして…なんて考えていた頃は元気いっぱいだった。

その後、今行っているバイト先から採用の連絡を貰って、決めてしまったアルバイトをどうしようと思ってから今日に至るまで、ずっと、なんとなくもの悲しい気分が晴れない。

なんだろう、本当はやりたかったことを、少し違う形でかなえ続けて、いよいよ終盤だからなのかな。

学校の先生になりたかった→高校生の頃も、通信教育でも真面目に頑張らなかったうえに、変なプライドが邪魔をして、教員免許をとるところまで行かなかった。→臨時職員として、パソコンを教えたり、発達障害の子のサポートをしたりして、先生と言われる立場で仕事ができた。

今のアルバイト先で、楽しそうだなぁと思った仕事をしてみたかった。→東京から離れてしまって、やりたかったなぁと思うだけで実現するのは無理→子どもは独立、だんなも単身赴任で上京、やりたかった仕事とはちょっと違うけれど、実現することができた。仕事は楽しい。

と、手前みそだけど、行動的だし、第一印象はけっこう良いので、やりたいことが少し違う形であれ、夢を叶えることができている。

他にも、子どもたちが小さいうちは在宅で働いて、おかえりなさいが言いたいって夢も叶えた。

ようやく、若い頃にやりたかったことが叶って、次はと考えた時に、もう若くないという現実が見えて、かなしくなっているのかな?

というか、更年期障害と、突発性難聴による鬱傾向って気もするな。じわじわと、蝕まれている気がする。

コロナで若い人が亡くなってしまったっているニュースをみたら、気の毒で、病気で死んじゃう人もいるんだから、片耳難聴なんて、なんでもないって思うほど

そんな風に自分を励まさなきゃいけない程に、実はすごくすごく辛いことなんだと思う。野生動物みたいに、自分の弱みを人に知られるのがイヤだから、泣き言わないけど、本当は助けて~~!!って心が悲鳴をあげているんだろうな。

あとは、コロナの影響が薄れて、いろいろなイベントが行われるようになって、去年は土日祝休みだったのに何もなくて、今、土日祝休めないようになったとたん、行きたい行事が盛りだくさんとか、もしもコロナがなかったら、今のくらしは3年前にできていて、そうしたら難聴にもならなかったかもとか

コロナに対する行き場のない憤りが、今頃、憂鬱な気分となって、表にでてきている気もする。

どうでも良いから、元気になりたい。たまには、カラオケでも行ったら良いのかな。耳を悪くしてから一度も行ってないな。

なんか、自分が辛いんだと自覚したら、ちょっと元気になってきた。他人に弱みを見せられないなら、自分が自分の心を聞いてあげないとだよな。