なんだか不謹慎な感じのタイトルになってしまったが、けして卑下するつもりはない。

突発性難聴になってから、どうも「霊」「神」という言葉に触れる機会が多い。それは治療して下さったご夫婦の話であったり、アパートの近くの図書館の本であったり…。

先日、通勤時に読むための本を図書館で借りようと思い、30年くらい前に、友人が佐藤愛子のエッセイが面白いといっていたのを思い出し、探してみたところ、新しい本はなく、20年以上前に書かれた「私の遺言」という本があったので、それを借りた。

その話にでてくる地名は知っている場所ばかり。妙に親近感を持ちながら、どんどん読み進んだ。

内容は、佐藤愛子さんが51歳の時に家を建てた場所が、アイヌが日本人にひどい目にあったところで、その祟りと、佐藤家の先祖がしでかした悪事の祟りの両方が結びついて、ポルターガイストみたいなことや、体の不調などに苦しめられ、多くの霊能者や神界の力を借りて収まるまでの顛末…からの、霊の存在から見た日本の現状の見解や、日本を救いたいという思いが書かれている。

信じるか、信じないかは読み手次第なんだけれど、私はなんだかいろいろな事が繋がって、妙に納得した。母は難聴で障碍者手帳を持っていて、私と見た目も声もよく似ていると言われる叔母さんも突発性難聴になったと聞いて、遺伝的に内耳の弱い家系なのかなと思ったのだけど、これは、私たちに気が付いて欲しい、霊的なものの声なのかもしれない。

たぶん、突発性難聴にならなかったら、行かなかった医院、読まなかった本から、考えたこともなかった霊の知識が入ってくる。それは、偶然ではないと思うのだ。

とはいえ、私は何をしたら良いのだろうか…。とりあえず、その本に書かれていた「日拝」:太陽を仰いで祈れば良いのだろうか…。

話は変わるが、実は3月からお世話になっていた医院なのだけど、先日行った時に、あるアクシデントに対して、奥様がとても怒っていて、その姿は正直、私を幻滅されるには十分だった。でも事実として、95dBの難聴を85dBまで治してもらったという実績がある。68dBの検査結果は、もう一つの治療院にもかかったあとだから、どちらのおかげかは判断できないので、控えめに85。本当はもっと良いと思う。

これは大きな回復だから、騙されたとは思えない。でも、先日の姿は信頼できるものではなかった。これはどういうことなんだろう?と思っていたら、その「答え」のような事も書かれていた。

ある能力の高い霊能者がTVで霊視をするようになって、高い謝礼を受け取ってしまったことで、今日は調子が悪いと言うことができず、その場しのぎの対応をしたことで、元々そんな能力がなかったと叩かれてしまったというような話。

そっか、奥様はお疲れなのかも知れない。本当に霊能者として、病気を治す能力はあると思うけど、人間だもの、調子の悪い日だってあるのだろう。けして嘘とか詐欺とかではないけれど、いつでも高いパフォーマンスを保つのは難しいことなんだと思う。

あるいは、自分を犠牲にして、人を癒すという使命から、もう許されたのかも知れない。ある意味、神の手を持つ人が治療するってのは、修行のひとつなのかも知れない。実際は神ではなく、霊能者なのかな。釈迦も孔子もキリストも神になるべく修行中らしい。まぁ、これも信じるかどうかは読者次第だけどね。私は肯定的な気持ち。悪気なく、自他ともに「神」と思ってしまったけれど、神ではないから、万能ではないのかな。

って、オカルトなことを真面目に考えている。娘には「何その鬼滅みたいな話。戦うの?」と笑われてしまったけど💦 いや、鬼滅みたいではないと思うんだけどなぁ。