今日は休みで、Tverでハコヅメの特別編を見ていたら、ダラダラ泣いてて、自分にビックリした。あれ?こんな風に自分では感情を自覚していないのに、すぐに涙がでてきてビックリしたこと、前にもあったなぁと既知感。

若い頃、プログラマの仕事が忙しくて、でも仕事の内容もプロジェクトの先輩たちも好きで楽しかったのだけど、2年後に入社した子たちの管理を任されて、仕事のできる自分でいたくて、プロジェクトのパフォーマンスも上げたいけど、嫌われるのもイヤという器の小さい私がうまく管理できる訳もなく、お互いに傷つきながらも成長している途中で、すんごく心が疲れていたのだと思う。その時は、キレイな夜景をみたら、ボロボロ涙がでて、びっくりした。

父が急死した時も、従弟から言われた言葉をきっかけに号泣したり、しばらく仕事を休んで久しぶりに出社した時に、香典やお花のお礼や、亡くなった理由などを、どちらかといえば微笑みながら(私は無意識だと笑っているらしい。バカにしてると勘違いされることもあるので、深刻な場面では笑顔にならないように緊張する)上司に伝えていたのに、涙がどんどん出てきて、もう話さなくていいからって言われた。え?私、そんなに悲しかったのかな?って感情がついて行かなかった。

最近だと、適正がない職場で、あんまりにもできない自分と、ドラマのようなパワハラな人間関係で、なんでもないことですぐに泣いてた。自分では、私なら大丈夫。私はタフだから、これぐらいなんでもないって思ってたんだけど、客観的に見たら、メンタルがやられてたんだと思う。

そんなことを思い出すと、職場なんだか、シェアハウスなんだか、食生活なんだか、身近でコロナに罹患した人がいたからか、理由は特定できないのだけど、かなり心が弱っているみたいだ。一番比重が大きいのは職場だから、やっぱ仕事のストレスなのかな。

今の仕事は自分の感情を殺さないと務まらない。前の介護職もそうで、その前の臨時職員もそうで、優しく寄り添うってのは必要なんだけど、本気で感情移入しちゃうと、本人に苛立ったり、家族様に苛立ったりしちゃうから、いったんいろんな感情をなしにして、お芝居のように優しくしないといけない。

実はそういうのは得意で、適正はあると思うのだけど、元々は熱くてうざい性格だから、ものすごい抑圧の日々となってしまう。ダンナや子どもたちは冷めた性格で、芝居をしなくても相手にそんなに感情移入しないし、そこそこ優しいから、本当の意味で向いていると思うけど、そういう感情奉仕の仕事には就こうとしない。

熱くてうざい性格だから、人相手の仕事を選んでしまうけど、ちょと見、向いていても、こんな風に弱ってしまうってことは本当の意味では適性がないんだろうな。不器用だしおおざっぱだから、工場のラインとか、掃除とかも向いてないし、どんな仕事なら向いてるんだろうな。

短期間で辞めてしまう自分が父親と重なって、ちょっとイヤなんだけど、逃げるは恥だが役に立つってほんとうだよなって気持ちもある。外面よりも自分が大事。こんなご時世でも私が務まる仕事はけっこうたくさんある。まぁ、クビにならなければ、今の契約は9月末までは決まっているから、それまでは辞めないけど、本気で次のことを考えないとなぁ…。