子どもの頃の紅白のようなオリンピック
子どもの頃、私の母は紅白をとても大切な番組として視聴していたのだけど、私は正直、そんなに楽しみではなかった。家では有無を言わさず紅白を見なくてはいけなくて、だいたい途中で寝てしまって、眠いのを起こされて年越し蕎麦を食べるのは、正直、気分が悪かった。
従弟の家で年末年始を過ごした時に、従弟たちがコント55号をみていて、そのほうが楽しいと思った。それでも、いつもは観ることができないフォーク歌手などが出演すると嬉しいし、歌を聴いたり歌ったりするのは好きだから、翌年からはまた紅白をみていた。
ここ数年は紅白はビデオをとって、リアルではガキ使みて(紅白はライブでガキ使は収録なのにね)後から見てたけど、昨年末の紅白は未だに見ていない。もう見ない気がする。
そしてオリンピック。これもまた親がすごく熱狂して見ていて、つられて見ていた感はあるけど、私自身もすごく好きで、観て感動していた。オリンピックより日常が大事だった20代の頃でさえ、旅行先で伊藤みどりが銀メダルをとったの旅行先の人と大勢で一緒に見て、みんなで歓喜して、すごく興奮した。
里谷 多英が金メダル取った時も、スキー場の食堂でみんなでTVみていて、いつもよりもたくさん感動して、すごく楽しかった。Qちゃんが金メダル取った時は、下の子の出産直後で病室でTVでみて、いっぱい元気をもらった。
だから、今回、せっかく日本のオリンピックなのに、大勢で観戦して喜びを分かち合えないのは残念だと思う。それでも、やっぱり始まってしまえば私はスポーツの応援が好きだし、君が代聞いて涙ぐんでる。
ブルーインパルスもわざわざその日を休みにしてもらって、国立競技場まで見に行った(コロナを抑えるためには、よくない行動なんだろうけど…)。きれいなスモークは観れたけど、五輪マークは残念ながら国立競技場よりも少し西側で描かれたので、欠片しかみれなかった💦けど、周りのみんなで残念がって、お祭り騒ぎのようで楽しかった。
私はそんな風に熱狂しているけど、娘は、オリンピックの開会式よりはお笑いをみたいと思っている様子だった。そう、既知感がある。昔、紅白で思った感情のようだなって・・・。子どもたちは、あのときの私のような気持ちで親である私を見ているんだろうな。
もしも去年開催できていたら、次女は選手村で飲食のアルバイトをする予定だった。長女も妹のところに泊まって、私と一緒に退会を楽しみたいと言っていた。でも、それは幻に消えてしまった。ボランティアを楽しみにしていた去年の大学4年生も、悔しい気持ちがのこっただろうな。ちょうどオリンピックの年に東京で学生で、すごく幸運だって思ってたのにね。言っても仕方がないけど、残念でしょうがない。
今では紅白は歌番組の1つに過ぎない。録画したのに見ないほど。オリンピックも、そんな風に、スポーツの大会のひとつにすぎないし、それほど見たいとも思わないってものになっていくのかな。開会式も、50代の人が喜びそうな演出だったもんな。
さてと、そうはいっても頑張っている選手をみて感動したい私がいる。始まってしまえば感動して、やってよかったって思うと言われていた単純な人の代表みたいで情けないけど、ここで我慢して感動しないのも変なストレスになりそう。
医療従事者の人に迷惑をかけないように、感染しないように気を付けて、せっかくの大会を楽しみたいな。