「自閉症は津軽弁を話さない」という本をみて、思い当たることがある。この本については筆者のインタビューを見ただけで、読んでいないので、自閉症は本当に津軽弁を話さないのか、それは何故なのかはわからない。いいかげんで申し訳ない。
私は子どもの頃、診断されたことはないのだけど周りからは自閉症児と思われていた。うちの上の娘はかなりアスペルガーっぽいけど、言葉は問題が全然ないから、自閉症ではない。むしろ、言葉を覚えるのが早く、教えてもいないのに、文字を読み書きしてたし、外国語も得意。下の子は注意欠損傾向が強いけど、言語的はやはり得意。そういえば、私の姉も早くに喋っていたらしいし、漢字や英語は得意だった。
私は、言語能力に認知障害があるのかな。四歳まで喋れなくて、担任の保母さんに心配されて、テープレコーダーで客観的に自分の喋っているところを聞かせたら良いと言われたらしいのだけど、その先生は独学で深く学んでいたのかも知れない。
自閉症は治らないっていうから、私は単に言葉が苦手なだけなのかな。一人遊びが好きで周りの子と遊ばないとか、パズルが好きで何度も並べては壊してを繰り返すとか、絵本でなくて、紙芝居を壁にむかって一人で読んでるとか、なんか傾向はすごくあったけど、少なくても、今はよくしゃべるし、協調性もある…と思う。
それでいて、年長の時には、すこしでも話す機会を作ろうと、いろんな会の司会をさせられたようで、とても上手に進行していたらしくて、母親は他のお母さんから、ココちゃん、しゃべれたんだ!とおどろかれたり、褒められたりしたらしい。
って、脱線したけど、そんな私は北海道弁を話さない道産子だった。保育園から中学校までは同じ地域だったから、転校生と間違われることはなかったけど、高校では「どこ出身?」と聞かれた。中学校の時も転校生の子に、他の子と話し方が違って聞きやすいって言われて、え?そうかな…と初めて知った。いや、それ以前から、よく男子に真似されて、気を悪くしてたんだけど、褒められたことはなかったから、無視してた。
両親も姉もバリバリなまっている。母の育ての母(おばあさん)は津軽の人だったから、母は北海道弁以上になまっている。そんな家族の中で私はサザエさんのタラちゃんみたいな話し方。声も甲高い。
話さないといっても、…っしょ・…さ・…べさ・…かい・というような、語尾に着ける系の方言は普通に使っていた。したっけとか、てぶくろはくとか、しばれるとか、ゴミなげるとか、こわいとか、そういうのも普通に話してた。音痴だから、イントネーションとか、アクセントとか、そういうのが聞き取れなかったんだろうな。
熱中先生で水谷豊が大げさな北海道弁話していて、あんな話し方しないよねーって思いながら、TVで聞いて、物まねしてみたら、けっこう普通の北海道弁が話せた。北野広大は大げさだけどね。
そういえば、子どもの頃、親が見てた「あかんたれ」を一緒にみて、セリフを真似してエセ大阪弁を話してた時期がある。私の場合、日本語は、TVを真似して覚えたのかな。
読みは大丈夫なんだけど(本でも漫画でも、読むのすごく遅いし、途中でズレて、同じところをなんども読んでしまったりするけど)、書くのが苦手で、小学校に上がったころには自分の名前をひらがなできちんと書けなかった。左右が逆だったり、横長の文字が90℃回転して、縦になったり…。漢字がかけなくて、放課後に残されて練習してた。どんどんみんな帰っちゃって、最後まで残ってた記憶がある。
英語ができなくて自分でもビックリした。他の教科はけっこう得意だったから、英語苦手って言っても、そんなこと言って、70点とかなんでしょって言われて、30点くらいの答案見せて、周りにも驚かれてた。英語が苦手でなかったら、私の人生違ってたのかなと思うけど、今の生活好きだから、ま、いっか。
で、なんでしゃべれないのかは、自分ではわからないけど、今もこの田舎に来てから30年近くたつのに、方言がしゃべれない。北海道弁と違って、50音の発音からして違うから、もう別の言語。けっこう、聞き取ることはできるんだけど、何年経っても、しゃべれない。
だからなんだってことは無いのだけど、この謎が解けたら、日本語もなかなか話せなかったってタイプの人が、もう少し楽に言語が覚えらるようになるのかも知れないな。そうなると良いな。
私は子どもの頃、診断されたことはないのだけど周りからは自閉症児と思われていた。うちの上の娘はかなりアスペルガーっぽいけど、言葉は問題が全然ないから、自閉症ではない。むしろ、言葉を覚えるのが早く、教えてもいないのに、文字を読み書きしてたし、外国語も得意。下の子は注意欠損傾向が強いけど、言語的はやはり得意。そういえば、私の姉も早くに喋っていたらしいし、漢字や英語は得意だった。
私は、言語能力に認知障害があるのかな。四歳まで喋れなくて、担任の保母さんに心配されて、テープレコーダーで客観的に自分の喋っているところを聞かせたら良いと言われたらしいのだけど、その先生は独学で深く学んでいたのかも知れない。
自閉症は治らないっていうから、私は単に言葉が苦手なだけなのかな。一人遊びが好きで周りの子と遊ばないとか、パズルが好きで何度も並べては壊してを繰り返すとか、絵本でなくて、紙芝居を壁にむかって一人で読んでるとか、なんか傾向はすごくあったけど、少なくても、今はよくしゃべるし、協調性もある…と思う。
それでいて、年長の時には、すこしでも話す機会を作ろうと、いろんな会の司会をさせられたようで、とても上手に進行していたらしくて、母親は他のお母さんから、ココちゃん、しゃべれたんだ!とおどろかれたり、褒められたりしたらしい。
って、脱線したけど、そんな私は北海道弁を話さない道産子だった。保育園から中学校までは同じ地域だったから、転校生と間違われることはなかったけど、高校では「どこ出身?」と聞かれた。中学校の時も転校生の子に、他の子と話し方が違って聞きやすいって言われて、え?そうかな…と初めて知った。いや、それ以前から、よく男子に真似されて、気を悪くしてたんだけど、褒められたことはなかったから、無視してた。
両親も姉もバリバリなまっている。母の育ての母(おばあさん)は津軽の人だったから、母は北海道弁以上になまっている。そんな家族の中で私はサザエさんのタラちゃんみたいな話し方。声も甲高い。
話さないといっても、…っしょ・…さ・…べさ・…かい・というような、語尾に着ける系の方言は普通に使っていた。したっけとか、てぶくろはくとか、しばれるとか、ゴミなげるとか、こわいとか、そういうのも普通に話してた。音痴だから、イントネーションとか、アクセントとか、そういうのが聞き取れなかったんだろうな。
熱中先生で水谷豊が大げさな北海道弁話していて、あんな話し方しないよねーって思いながら、TVで聞いて、物まねしてみたら、けっこう普通の北海道弁が話せた。北野広大は大げさだけどね。
そういえば、子どもの頃、親が見てた「あかんたれ」を一緒にみて、セリフを真似してエセ大阪弁を話してた時期がある。私の場合、日本語は、TVを真似して覚えたのかな。
読みは大丈夫なんだけど(本でも漫画でも、読むのすごく遅いし、途中でズレて、同じところをなんども読んでしまったりするけど)、書くのが苦手で、小学校に上がったころには自分の名前をひらがなできちんと書けなかった。左右が逆だったり、横長の文字が90℃回転して、縦になったり…。漢字がかけなくて、放課後に残されて練習してた。どんどんみんな帰っちゃって、最後まで残ってた記憶がある。
英語ができなくて自分でもビックリした。他の教科はけっこう得意だったから、英語苦手って言っても、そんなこと言って、70点とかなんでしょって言われて、30点くらいの答案見せて、周りにも驚かれてた。英語が苦手でなかったら、私の人生違ってたのかなと思うけど、今の生活好きだから、ま、いっか。
で、なんでしゃべれないのかは、自分ではわからないけど、今もこの田舎に来てから30年近くたつのに、方言がしゃべれない。北海道弁と違って、50音の発音からして違うから、もう別の言語。けっこう、聞き取ることはできるんだけど、何年経っても、しゃべれない。
だからなんだってことは無いのだけど、この謎が解けたら、日本語もなかなか話せなかったってタイプの人が、もう少し楽に言語が覚えらるようになるのかも知れないな。そうなると良いな。
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