自死についての想い

先日、自死することについて、私なりの気持ちを書こうかなと思ったら、突然の訃報。あんまりにもショックで、話題にもできないし、もうTVもネットも見たくないし、なかったことにしようという気持ちになった。

だから、その素敵な女性の事は名前も書かない。以下は、前に書こうと思った、全然関係のない話。

四半世紀近くも前のことだけど、同い年の従弟が若くして自殺した。あまりの悲しみと後悔で、亡くなってから10年間は、私の中で、なかった事にしていた。10年くらい経った時に、身内が自殺した知り合いと、お互いに泣きながらその話をして、その時にやっと、従弟が死んだことを受け入れた。

母親の愛情に飢えていた従弟。いろんな事がうまくいかなくて、お酒を毎日飲んで、アルコール中毒になっちゃって、私に見られたくないだろうな、元気になったら会おうと思って、帰省しても、あえて会いに行かないでいたら、飛び降りて亡くなったと…。

かわいそう、ごめんなさいって思ったけど、従弟は私に「かわいそう」なんてきっと思ってほしくないだろうな。

その頃の従弟は、同じ施設の中で好きな女の子ができて、遺物の中に彼女に渡そうとしたらしいラブレターがあったりして、なんだかウキウキと暮らしていたっぽい。

実のお母さんに冷たい仕打ちをされても、学生時代に同級生にからかわれても、中卒で働いた寿司屋さんで理不尽な目にあっても、本気で結婚を考えた人が妊娠したと喜んでいたのが、実は人妻でダンナさんの子どもだってわかった時も(相手の女性は知的障害のある人で、わかってなかったらしい)、いつもそういう悔しさを逆に力にして生きていた従弟。

アル中からくる鬱だったのかも知れないけど、死んだ時に従弟は、けっこう心穏やかな状態だったのではないかな。自分の将来を考えた時に、もうここまでで良いかなっ、今以上幸せにならなくても良いかなって、疲れてしまっただけで、そんなにかわいそうな心情ではなかったと思う。

私も、上の子が赤ちゃんの時に、ダンナも姑も子ども好きで私よりもあやすのが上手だし、子どもは用事で臨時の保育園に預けても後追いとか、泣いて嫌がったりとかが全然なくて、むしろ楽しそうだし、生活も安定していたし、私がいなくても、誰も困らないだろうなと思った時がある。いないほうが幸せかな…って。

でも、子ども3人は産まなくちゃって変な決心があって、まだまだ、これからって気持ちがあった。実際には2人で挫折したのだけど・・・。

2人目は私から離れられない子で、かわいいのだけど、ちょっとしんどかった。姉妹なのに全然違う。ダンナと上の子は一人でも平気だし、私と下の子は家族大好きな共依存?って感じ。平均させたらちょうど良いのに・・・。

下の子が赤ちゃんの時は毎日大変で、虐待する危険はあっても、死にたいなんて思う余裕がなかった。家も買ってローンを返さないといけないし、家で働ける仕事をみつけるのにも一生懸命だったし、疲れた…もういいかな、なんて思う間もなく、自由で好きなことができる今に至った。

他の人のことはわからない。想像してみたって、私のフィルターがかかってしまう。だから、私の場合に限ってのことなんだけど…。

私なら、本当に辛い時は死にたいなんで思わない。なんだか安定した希望のある状況で、悔しいという感情もなくて、私がいなくても私の大事な人たちは幸せなんだ、よかったよかったって状況のほうが死にたくなる。

私が従弟を亡くした時の気持ちを思えば、親とか友人とか、ちょっと考えたら辛い思いをさせてしまうってわかるそうなものなのに、そういうのに考えが至らないのは、やっぱ鬱のせいなのかも知れない。鬱っていうか、上の子はアレルギーがひどくって、母乳だったから、必要以上にいろんな食べ物を控えて、私が栄養失調になってたんだと思う。

急に変な例えだけど、アンデルセンのマッチ売りの少女だって、人魚姫だって、ある意味自殺みたいな感じでしょ。でも、彼女たちは、きっと幸せな心で死んだり、泡になったりしてる。

だから、本当に私の独りよがりな考えだけど、自殺した人は、かわいそうなんかじゃない。きっと穏やかに、希望を持った状態で亡くなったと信じたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

庭仕事

前の記事

庭の除草シート張り
日記

次の記事

プライムビデオ