「貧乏暇なし」って言葉、今まで当たり前のように受け入れていたけれど、突然、何で貧乏で暇もないんだろう?って不思議に思った。

ちっちゃい子どもがいたり、介護が必要なお年寄りがいて、働けないって状況が、当てはまるのかな?って思ったけど、正直、赤ちゃんがいて育児休暇中だった私は「ひま~」と思っていた。

今なら赤ちゃんの無駄な動き見ているだけで、可愛くて何時間も過ごせそうな気がするけど、出産前までバリバリ働いていた私は、赤ちゃんを抱っこしてTVをみているような生活が暇で暇で、暇な時間をお金に変えようとして、内職商法にはまってしまったんだった。

介護も、やるべき作業があってパタパタするのは好きなのだけど、長時間リフレインの話相手をするとか、一緒にトランプのゲームするとか、オセロするとか、すぐに飽きて暇で暇で時計ばかり見てしまう。正直、苦痛。だからメンバーにならずに、脇でパタパタと手助けをするほうがずっと楽。

そんな暇な仕事なんだから、給料が安くても仕方がないと思うけど、暇だからって、楽って訳じゃない。こういう、精神的にも身体的にも大変ではないけれど、拘束されて自由にできない時間は「貧乏暇なし」の暇ではないのかな?

この言葉の「暇」は、自分がやりたい楽しい事をする時間ってことなのかな?そうだそうだ。今までずっと、そういう風に解釈して、この言葉に疑問を感じなかったんだ。

暇になったら、旅行に行きたいとか聞くものね。

じゃあ、暇な時間は沢山あるけど、拘束されていてお金がない状況、育児中とか介護中とかブラック企業で就業中とか、そういう状況を「貧乏暇なし」って言うのかな。

貧乏でなかったら、お金を払ってプロに助けてもらって、暇はできるんだろうけど、貧乏でも福祉に助けてもらって暇をつくることはできるんじゃないかな?甘いかな。

自分が体験しないと実感できなくて、貧乏で高速されない時間が全然ないって状況になったことがないから、今一つ腑に落ちない。でも、それで良いと思う。

何で急に気になったのか自分でもわからないのだけど、一生腑に落ちないことを願いつつ、貧乏ってほどお金に困ってないし、暇なしってほど拘束されてもいない毎日を感謝して暮らしたいな。