先日の記事に引き続いて、父親の話題。

なんだか無性に父親を思い出す時があるのだけど、そういう時って、近くにいるのかな?って思う。

私、遠距離恋愛とか絶対に無理なタイプで、見えないものは無いのと同じ。だから見えない父親を頻繁に思い出すってのは、不思議な事で、たぶん、第六感っていうの?どこかで見てるんだと思う。

何を思い出したかというと、父親のお通夜とかお葬式の時の事。

北海道は本州と違って、お通夜では、時間前にたくさんの人が来て、お坊さんのお経を一緒に全部聞いて、その後は個人を忍びながらお酒を飲んでつまみも食べて、泊って行く人もけっこういる。

父親のお通夜にはびっくりするほどの人が来ていた。母親は精神的に不安定だったし、姉がそれほど父親の交友関係なんてわからないし、私は居るだけで何の役にも立たないし・・・そんなに連絡はできなかった。でも、親戚や会社の人だけでなく、新聞のお悔やみを見て、学生時代の知り合いがたくさん来てくれた、さながら同窓会。

姉の友達も私の友達も来た。うちは、姉や私の友達が遊びにくると、自分の部屋に行かずに茶の間で過ごしていて、家族みんなと顔を合わせるパターンだったので、父親のこと知ってる。家に来たことがなくて父親のことを知らない同級生も「新聞で見た、大丈夫?」って心配して電話をくれた。私の会社からも大きな花が届いて、女性の社長らしいなと思った。母の職場の人も来てたのかもしれないけど、それは覚えていない。

母の妹たちに「いつ見てもブスだな」と言っちゃうような、失礼な自分勝手な父親で、来るものは拒まずで定期的に遊びにくる友達はいたし、クラス会の幹事とかはやってたらしいけど、仕事もころころ変わるし、高校も定時性から全日制に途中で変わって、どっちともそこまで長い付き合いでないし、人望なんて無いと思うのだけど、不思議な事に、本当に多くの人が来てくれた。

それが人の価値と関係あるってことではなくて、実際、お通夜の席でみんな父親の悪口で盛り上がってたし、やっぱ人望があるって感じではなかった。失礼でろくでなしのくせに、なぜか会いたくなる人だったのかな。

普通死んだ人の悪口は遠慮して言わないだろうに、そんな風に明るく、生きてるときと同じように楽しく会話しているのが私は嬉しかった。父親を思ってくてくれる人がたくさんいるってのも嬉しかった。遠くは東京とかから駆けつけてくれた人もいた。さながら同窓会の人たちは、男性も女性もほとんど皆、泊って翌日の告別式にも出てくれた。

たぶん、父本人も、もしも魂みたいなものがあって状況が見えたのなら、大勢来てくれて悪口言って盛り上がって、湿っぽくなくて明るい様子を一番喜んでたと思う。

って、やっぱ、父いる?私に気持ち、伝えてる?

そんな風に大規模になっても、みんな香典くれるから、お金もそんなにかからなかったらしい。

母も姉も私も、北海道から離れてしまったから、あんなふうに大勢が来ることはないだろうな。先日の記事では父のことは嫌いじゃないけど、憧れる気持ちはないと書いたけど

これはちょっと憧れる気持ちがあるな。