在宅勤務が良いなぁ と思ったのは
もう40年以上も前の子どもの頃。

うちは父親が ギャンブルにはまってしまって、
母親が昼も夜も働いていて
子どもだけで留守番ってことが多かった。

今だと ネグレストとか言われちゃうレベルなのかな。
母は 視力も聴力も 弱かったから 
(今は 障がい者手帳を持って 障害年金を貰っている)
福祉に頼ったら 救ってもらえたと思うのだけど

母は 実の母親(私からすると祖母)が 早くに亡くなっていて
家族が一緒に暮らすことに 固執していたし
子どものために生きてるって 感じだったから

子どもたちを 施設に入れるのは 絶対に嫌だったんだと思う。

母親は 自分は一緒にいられないけれど
ひもじい思いはさせたくないと
近所の酒屋さんで 勝手に買い物をすることを 許してくれていた。

その酒屋さんは つけが利くお店で
(いくら買い物をしたかを書いておいて後からまとめて請求される。カード払いみたいな感じ)
手元にお金がなくても 買い物ができた。

今のコンビニのように なんでも 売っているお店で
お腹がすいたら食べ物 学校で必要な文房具(すぐに無くしちゃって同じものを何度も買った)
遊びで使うための紙や 月刊のマンガ雑誌など
何を買っても 怒られることはなかった。

だから 姉もいたし そんなに大変じゃなかったのだけど
いっつも お母さんがいなくて 寂しいって気持ちでいた。

姉は 同じ境遇で育ったのだけど
家にお金がない事を 理解していて(私はよくわかってなかった)
子どもながらに 遠慮して 欲しいものを我慢したり
習い事をしたいと言えなかったことが 辛かったそうで
お金の稼げる人になりたいと願って
看護師になって いっぱいお金を稼いでいる。


そんな子どもの頃
幼馴染のお母さんが 電力会社の検針員をしていて
子どもや子どもの幼馴染(私達姉妹)までも 一緒に連れて歩いても大丈夫で
幼馴染は 付いていくのが面倒と 留守番を選んでいたけれど
願えばいつでもお母さんと一緒にいられるって事が めちゃくちゃ 羨ましかった。

別の幼馴染のお母さんは 家で和裁をしていた。
針も使うし 汚したら大変だからと おひざに抱っこは無理だけど
見える場所にいるだけで嬉しいし おしゃべりもできるし 
やっぱり 羨ましかった。


本当は 仕事は子どものいないところでやりたいし
(おしゃべりしながら裁縫するなんて マルチタスクなことは 私には無理)
子どもも 親と二人きりよりは お友達と遊んだほうが楽しいと思うのだけど

たぶん 小さい頃の 自分のためってのが 一番なんだろうな。
子どもが小さいうちは 家で 働くことができたら いいな って・・・
ずっと 長年 考えていた。


なんか 前置きが長くなっちゃった。
実際に 何をしたかは また今度。