帰省してから約2週間、最初は背中が痛くて寝てばかり。といっても雑草取りはしたか。子どもたちも帰省して、お墓参りをしたり、遊びに行ったり、美味しいもの食べたり。それももう終わってしまって、ダラダラ。

さすがに飽きてきた。今月半ばと言われていた派遣会社からの離職票は届かない。うーん、やっぱまた出稼ぎに行こうかな。

コロナ禍がもしもなかったら、思い描いていた将来があった。3か月くらいリゾバをして、失業保険をもらいつつ、ずっとやりたかったと後悔していたバイトに申し込んで、そこで1年くらい働いたら田舎に戻ってドラッグストアでゆるく働く。出川の番組の電動バイクを買って、地元をちょろちょろするのも良いなと思っていた。

2年くらいで戻ってきますよって周りに言ってたな。

コロナ禍で思った職種じゃなかったり、突発性難聴のせいでクビになるかとビクビクしたり、思っていたのとはちょっと違ったけど、やりたかったことはやってしまったのだから、パート探してゆっくり過ごしても良いんだよな。

でもコロナ禍の激動な3年半を過ごしてみて、私はいろいろな仕事の体験をするのが好きなんだということが分かった。水商売から役所の臨時職員、コロナ過よりのずっと前からのリモートワーク、職業の斡旋会社に登録して倉庫へ行ったりデータ入力したり、1つ数円の部品つくりの内職。内職詐欺にもあったし、資格詐欺にもあった。

どうやってそんな仕事をみつけたの?と聞かれるのは好きだった。自分が体験したことをべらべら話して得意になっていた。

でも、最近はべらべらは話さない。むしろ内緒にしていたりする。それでも誰にも話さなくても、いろんな体験をしたりいろんな景色をみるのが好き。

いや、最初の会社に就職した時はさ、高卒のフリーターだったのに、大卒の人たちと同じ年に就活して、晴れて正社員になれたから、会社員として頑張ろうと思ったのよね。

さいきんリメークされたドラマの原作の「悪女」って漫画に共感して、就職した会社で頑張って部長くらいにはなるのかなと、そんなことも考えていた。でもそこは辞めちゃったからね。同い年の人達とキャリアを争うことはできなくなっちゃったんだよな。

よく似てると言われた父親が、仕事転々としていたから、もう生まれつきの性格なのかも知れない。父親は私よりも器用で車の運転もうまくて、人付き合いも上手で、ズルいところもあったから、なんの仕事をしてもそこそこできる人だったけど、その分早く死んじゃったのかな。お父さんの全然問題なかった右目と右耳の内耳、もったいなかったな。貰えるものなら欲しいなぁ。

あー、久ぶりの田舎のせいか、お盆だからか、昔のことばかり思い出すな。

てな訳で(どんな訳?)またどこかのリゾバに行きたいな。